* HISTORY [#kb1e4009] #ref(./Go_1closeup.jpg,right,around,囲碁) 囲碁(=碁)の起源ははっきりとは分かっていませんが、4000年くらい前に中国で易の用具として碁盤、碁石が生まれ、次第に武将たちの間で戦争のシミュレーションに使われるようになっていったと言われています。2000年くらい前には庶民の間でも一般的なゲームになっていたようです。 日本への伝来は5世紀ごろに朝鮮半島から、という説が有力ですが、これもはっきりとは分かっていません。 7世紀初頭に著された隋書・倭国伝には日本で囲碁が盛んであるという記述があり、正倉院には日本最古の碁盤と碁石が保存されています。 平安時代には広く貴族階級に広まり、10世紀には宮中での公開対局も盛んになりました。紫式部や清少納言も囲碁をよく打ったと伝えられています。 //以降、戦国時代にかけて、囲碁はそのままの形で武士階級に受け継がれてゆきますが、僧侶は知識階級として、一貫して囲碁の発展の担い手でした。 //囲碁の「名人」は、織田信長が日蓮宗僧侶の日海の対局をみて「名人」と賞賛したことに始まるようです。 日蓮宗僧侶の日海は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に次々と仕え、「本因坊算砂」という名で幕府公認のプロ棋士となりました。 以降、囲碁は幕府に支援されて発展してゆきます。江戸時代には碁会所も生まれ、庶民文化として普及、定着しました。 明治時代になって後ろ盾のなくなった囲碁界には混乱と低迷が続きましたが、その後政財界の後押しや1924年の日本棋院の誕生、タイトル戦の確立などを受けて、[[将棋]]と並んで日本が誇る代表的なゲームの地位を築いています。 その発祥から現代まで、長い歴史をもつ囲碁ですが、トラブルなく楽しむための細かいルールの変更はあったものの、基本的な遊び方はこの1000年間ほとんど変わっていないようです。 今では奥の深いアブストラクト・ゲームとして世界中で人気の高い囲碁ですが、アジアの国々での古くからの発展に比べ、欧米では19世紀になるまで普及することはありませんでした。 囲碁の欧米での普及に貢献したのは、村瀬秀甫氏(本因坊秀甫)、岩本薫氏(本因坊薫和)ら日本人でした。そのため、囲碁は国際的にも日本語名 go((日本通の人はigoと呼ぶこともありますが、館長らの経験上、igoと言っても通じないことがほとんどです))という名前で呼ばれています。 囲碁は現在、日本、韓国、中華人民共和国を中心としたアジアの国々を初めとして、アメリカ、ロシア、ドイツなど世界80ヶ国以上で打たれており、世界選手権もおこなわれています。 囲碁の国際普及を促進するため、正座での対局から、椅子とテーブルを用いた対局を積極的に採用するタイトル棋戦が増えました。正座対局では厚みのある(5-7寸)碁盤が好まれますが、テーブル棋戦では、厚い碁盤は使いにくいため、用いられません。これに対して[[将棋]]では、伝統を重んじ、ネット棋戦などを除くほとんどの棋戦が、正座対局でおこなわれます。 海外ではチェスと同じくマインド・スポーツとして楽しまれていて、2010年アジア競技大会では競技種目として採用されました。 近年ではインターネット上でプレイする囲碁も普及し、競技人口の増加に貢献しています。 囲碁は、その発展の初期には17路盤で遊ばれていたようですが、後に19路盤がスタンダードになりました。 //(中国にて)春秋・戦国時代(B.C.770~B.C.221)には、すでに知識人・武将たちに人気の高い娯楽となり、 // 江戸時代以前の碁については、棋譜が皆無に等しく、どのような内容であったか明らかでない。ただ1つ、互先置石制を採っていた事は確からしい。これは、対局星に2個づつ置き合って打ち始める方式で、中国、朝鮮ともにほぼこうした方式であった。 // この互先置石制を廃止したのが、日本の碁で、ここから独自の新しい世界が開け、中国、朝鮮を凌駕するきっかけをつかむことになる。その時期は室町末期頃と推測される。 //◎幕府が抱えて職業として発展 //◎海外ではスポーツ //◎局面の多さゆえにいまだコンピュータが克服できていない //http://www4.ocn.ne.jp/~inigo/igo-history.html //囲碁の歴史 //囲碁の歴史は長く、日本に伝わったのが約1,500年前と推定されている。発生地の中国では、4,000年の歴史と言われている。 //(1)中国において発生 // 碁の起源・発生は解明されてはいないが、易とのつながりがいわれている。遊技として、編み出されたのではなく、易と同じに公的機能を帯びており、その機能として、戦争の契機を見ていたという説である。 // 盤上の行為は人民(石)と領土(地)の争奪戦をなぞらい、作戦会議は碁盤を囲んで行われていたにちがいない。しかし、武器、軍略の発展に伴い、碁盤も軍略的機能や用途が薄れていった。こうして、紀元前7世紀ごろから、遊技への道が始まったのである。 // 遊技としての固有ルールも付加され、現在の碁は、およそ3,000年の歴史を持つ。 // 春秋戦国時代にゲームとして誕生した碁は、周辺諸民族に伝わっていく。朝鮮半島への伝播は三韓時代と推測され、日本より約1世紀から2世紀早く碁を知っていたはずである。 //(2)日本へ伝わる // 日本に伝わったのは、朝鮮半島を経由して、3世紀卑弥呼の時代以降と言われ、もっとも可能性が高いのが、4世紀後半で帰化人の渡来がおびただしく、彼らが携えてきた儒教の典籍にまじって1対の遊戯具がはじめて、日本の土を踏んだと想像できる。 // 遊技としての碁は、もともと庶民の楽しみではなく、もっぱら支配者階級、知識人の間で流行を見た。 // 701年「大宝令」僧尼令には、「凡そ僧尼は、音楽及び博戯をなさば百日苦役す。碁琴は制の限りに在らず」とあり、碁は他の技芸に比べ優遇され、以来日本では僧侶に碁の名手が輩出されることになった。 // 10世紀初頭には、宮中の碁が隆盛期を迎え、公開対局には必ず引き出物があり、勝者に贈られた。 // 貴族達の私的な対局でも、必ず何がしかのものを賭け、賭碁のエピソードは多い。 // 鎌倉、室町、戦国時代には、上級武士の間に碁は広まってきたが、質的な変化はなく、琴棋書画の雅技は貴族階級から、そのままの形で武士階級に受け継がれていった。また、知識階級たる僧侶は一貫して碁の担い手であった。 // 江戸時代以前の碁については、棋譜が皆無に等しく、どのような内容であったか明らかでない。ただ1つ、互先置石制を採っていた事は確からしい。これは、対局星に2個づつ置き合って打ち始める方式で、中国、朝鮮ともにほぼこうした方式であった。 // この互先置石制を廃止したのが、日本の碁で、ここから独自の新しい世界が開け、中国、朝鮮を凌駕するきっかけをつかむことになる。その時期は室町末期頃と推測される。 //(3)遊技から国技へ // 渡来後、千年を経て初代本因坊算砂(1559~1623)が誕生した。その業績は、空前絶後のものであり、政治的手腕により碁は遊技から国技に高まった。当時の碁の技量は、すでに中国、朝鮮をしのいでいたのであろう。 // 算砂没後、家元制度が確立し、碁院四家の本因坊、井上、安井、林の中で本因坊家は、たえず筆頭の地位にあった。 // 囲碁保護政策の根幹は「碁所」で、名人の地位(のちの九段)の者が就位した。碁所は、将軍指南役としての権利を持ち、御城碁は打たず、行事等取り仕切ることができた。御城碁は、年に1回、江戸城の御前試合であり、プロ棋士にとって晴れの舞台であった。 //(4)江戸時代 // ここで、江戸時代において2度の黄金期を見逃せない、1つは17世紀後半、4世本因坊道策の登場であり、碁の技術、思想的には飛躍的なレベルの向上をみた。 // 第2の繁栄期が、本因坊秀策らが活躍した幕末の時代で、彼らの手法、構想は今日でもなお学ぶものが多い。この頃には、豪商、富農の間でも碁が楽しまれるようになり、一流棋士は、各種の碁会に招かれた。僧侶は依然として、碁の担い手であった。 //(5)明治時代 // しかし、幕府の瓦解とともに、四家家元は立つ基盤がなく、明治10年頃までは囲碁史の空白期といってよいくらいである。 // 時の第一人者の村瀬秀甫は、明治12年囲碁結社「方円社」を結成。家元中心から近代的な専門家組織が誕生し、後の日本棋院、関西棋院へ受け継がれることになる。明治時代のアマチュア層の実体は、江戸時代と大きな変動はなく、相変わらず上流の名士が顔をのぞかせ、大衆化はまだ先であった。方円社と旧勢力の本因坊家は並立時代が続くが、碁界大合同の機運が生まれ、大正13年、日本棋院が創出された。 //(6)選手権争覇と大衆化の時代へ // 本因坊秀哉は、その時代の最強者が本因坊であるべきと考えて、新聞社に権利金により「本因坊」の名跡を譲り渡し、それを日本棋院にゆだねた。こうして、プロ碁界は、実力本位の選手権争覇の時代に入ってきたのである。 // 碁が大衆化の時代に入ったのは、昭和40年代のことで、琴棋書画的な風韻も影をひそめ、碁のレジャー化、大衆化に拍車がかかった。昭和50年代には、世界アマ選手権戦が開催され、室内ゲームとして、世界で最も優秀かも知れない碁は、今後ますます世界的な隆盛の道を辿るであろう。 * BOARD & PIECES [#wa0ed24a] #ref(./Go_2setup.jpg,right,around,碁盤と碁石) 2人のプレイヤーが碁盤の上の格子の交点に黒、白の石を1つずつ交互に置いてゆきます。 盤は19路盤を使います。(初心者の練習用には9路盤や13路盤も使われます。) 黒が先手です。打つ場所に制限はありませんが、一度打った石は動かせません。 ** 活路 [#v0b2c731] 石には置かれた位置によってそれぞれ「活路」があります(石に隣接する上下左右の空点。角に置かれた石には2つ、辺上では3つ、その他の盤上の交点では4つあります。)。相手に活路をふさがれ、囲まれた石は盤上から取り上げられ、相手のものになります。 すっかり囲まれる1つ前、活路が1つ残っている状態を「アタリ」といいます。 //活路: A vacant point that is immediately adjacent to a stone either directly up, down, left or right from it, or connected through a continuous string of same-colored stones to such a point. A stone, chain or group must always have at least one liberty to survive and a group should usually have at least two separate guaranteed internal liberties (eyes) to be considered alive. If a group is surrounded, having at least two eyes ensures that it cannot be captured by the opponent if correctly defended. Some living groups cannot be captured at all, and need no defense even if attacked. #ref(./Go_3Kinjite.jpg,right,around,着手の禁止,60%) ** 着手禁止の例外 [#u3daae2a] 囲碁では、盤上のどこにでも石を打つことができますが、例外があります。それは「石を打った瞬間に相手に囲まれて取られてしまう場所への着手」です。活路がないところに打つのは、囲んでいる石が取れるときだけです。 #clear #ref(./Go_3Ko.jpg,right,around,コウ,60%) ** コウ(劫)のルール [#jadc7766] コウとは、一方のアタリに対して他方が打った結果が打った側のアタリとなり、そのままでは永遠に同形を繰り返すことになる形をいいます。 コウの形で最初に1回石を取られたあとは、次の回で石を取り返してはいけない、というルールがあります。コウの形になったときは、いったん他に打たなければなりません(コウ立て)。 #clear ** セキ [#f0223b98] 自分の石を打ったことで相手をアタリにした瞬間、自らもアタリになってしまう形をセキといいます。この形になると先に手を出した方が相手に石を取られて損をしてしまうため、どちらも打つことができません。 #ref(./Go_3Seki.jpg,セキ,60%) ** パス [#ab20a5a3] 将棋やチェスと違ってパスをしてもよいというのは、囲碁のルールの大きな特徴です。 * GOAL [#ia7a6675] 終局したときに「地」(自分の石で相手の石を囲んだ陣地)の大きいほうが勝ちです。 空いている打てるところが全てどちらかの地になったら終局です。 どちらかが投了するか、両者が続けてパスをした場合も、双方の合意による終局となります。 地の大きさは自分の石で囲んだ交点の数「目」で数えます。同数の場合は引き分け(持碁)となります。 終局になったらダメ(どちらの地でもない目)をつめ、逃げられない(死に)石を盤から取り除きます。次に、あげ石(=アゲハマ、ハマともいう盤上から取り去った石)を相手の地に埋め、掛け算をしやすいよう四角く整地してから、地を数えます((日本ルールが「地」だけ数える="地を取り合うゲーム"に対して、中国ルールでは「地 + 盤上の石」を数えます="盤上に置ける石の数を競うゲーム"。)) ** コミ [#v31e0c6a] 囲碁は先手有利ですので、同等の棋力で戦う互先(たがいせん)の場合、「コミ」(ハンディキャップ。現在の主流は6目半((2002年より、それまでの5目半から順次6目半に変更となりました))。)を出します。棋力に差のあるプレイヤー同士の場合は、「置き石」(棋力に応じてあらかじめ盤に石を置くこと)をして対局する場合もあります。 互先であれば、コミを先手の地から引き算します。 //黒と白が互いに陣地を広げあって、囲った陣地の大きい方が勝ちという、シンプルなゲームです。 //ゲームの終了が一方当事者の意思、もしくは明確な終了のルールによらず、双方の合意で行われるのが大きな特徴である。 * STRATEGY [#f316ec76] 囲碁は、シンプルな石や盤を使ってプレイしますが、とても奥の深いゲームです。 入門者にとっては、終局のタイミングが分かりにくく、理解するためには上達が必要です。囲碁固有の作法(着手についての暗黙の了解、慣習など)や言葉の使い方をマスターする必要もあり、「囲碁は分かりにくい」という印象を受ける人も多いようです。 石の打ち方に制約が少ないこともあり、単純な合法着手数の比較では、チェスや将棋に比べて[[圧倒的に複雑なゲーム>アブストラクトゲームとコンピューター#g1819817]]となっています。 定石をいくつかマスターしておくことは一定以上の棋力を達成するために重要ではありますが、「大局観」という言葉が表すように、ゲーム中、いかに全体を俯瞰して的確な形勢判断をおこなうことができるかが戦略の鍵といえるでしょう。 コンピューター・プログラムが、チェスで世界チャンピオンを破り、将棋でもプロと凌ぎをけずるようになった今、「世界でもっとも複雑なアブストラクトゲーム」といわれている囲碁を研究対象とする研究者が増えていると聞きます。 囲碁プログラムが人間を負かす日も、近いかもしれません。 * SEE ALSO [#n38ec804] #related - [[インタラクティブ囲碁入門>http://playgo.to/]] オンラインで対話的に囲碁を覚えられるサイトです * Feedback [#u1caae51] &facebooklike(400x180,action="like",scrolling="yes",show_face="true",layout="standard",colorscheme="light",align="right",float="right",rlmargin="10"); #vote(おもしろい[27],役に立つ[4],興味ない[0],理解できない[0],やってみたい[4],食べてみたい[1]) #vote(おもしろい[27],役に立つ[4],興味ない[0],理解できない[0],やってみたい[4],食べてみたい[2]) //#pcomment_nospam(noname) //他のゲームと比較して、囲碁の著しい性質として指摘されるのが、ルールが単純で、石(将棋で言えば駒に相当)を置いて良い場所にきわめて制約が少ないことである。ゲーム中の考えうる局面数はオセロが10の60乗、チェスが10の120乗、将棋が 10の220乗であるのに対し、囲碁は10の360乗と、着手の選択肢が圧倒的に多く、戦略的には囲碁は他に類を見ない複雑なゲームとなっている。これが、チェスなどでコンピュータプログラムが世界チャンピオンを破り、将棋でもプロの実力に接近しつつあるのに対して、コンピュータ囲碁ソフトの進歩がはかどらない理由とされている。しかし、ソフトに囲碁の定石を覚えさせる方針から、確率を重視する方法を採用したことにより、数十年にわたってアマチュア級位者のレベルを脱しなかったコンピュータ囲碁が2000年代後半になってアマチュア段位者のレベルになるなど、急速な発展を遂げている。 //ただ陣地を広げるだけでなく、「石を取る」というルールのおかげで、より複雑でおもしろいゲームになっています。 //* NOTE [#m21f15be] // 参考サイト: 日本棋院「囲碁の歴史」 // http://www.nihonkiin.or.jp/juniorclub/history/index.htm